2018年5月17日、1ヶ月ぶりに奈良に帰省した。
午後8時30分頃帰宅して裏口、入ったらすぐ左にいつも置いてある鳥かごがないので急に不安になって母に言った。「鳥どうしたん?」「死んだ。」
2日前の5月15日、午後5時頃、庭から家の中に鳥かごを入れてしばらくした後、バタバタという音を母が聞き、「大丈夫か?」と思って覗いたら、水飲みに頭をつっこんでいたらしい。すぐに手を入れて外に出してあげたが、もう遅かった。死んでいたという。でも目が開いていたまま死んでいた。アルは老鳥だけども羽も抜けていなくてきれいだった。母はティッシュにつつみ、アルを介抱したが生き返らなかった。でも真っ黒な目は開いたままだった。黄色い頭に真っ黒な目で死んでいた。
ところがその後不思議なことがおきた。庭に埋めようと母が穴をほっていて30分ほどして部屋に戻るとティッシュに包まれたはずのアルがいなかった。そばにいた父に聞いても知らないと言う。92才の父は見た目はしっかりしているが直前のことを忘れる。父が散歩したときにアルをもっていってどこかに埋めてきたのかもしれない。父はそのことを忘れているのかもしれない。90才の母はその日一日中泣いていたという。
アルは二十数年前に母が東京の姉のところへ言ったとき、朝寝ていたらカバーの掛かった鳥かごから「ママおなか空いた」「もうちょっと待ちな。朝ご飯を作ってあげる」「うんわかった」という姉と子供の声がどこからともなく聞こえてきて、あとでこんなに小さな鳥がしゃべったとわかった。誰も世話をせず、汚いかごに入れっぱなしで、かわいそうに思い、新幹線で帰るときに実家の奈良に持って帰ったのだ。
母は面倒見がよく観察力も良いので鳥の気持ちさえもよくわかる。甘やかすだけではない。冬でも毎日小1時間は外に出して日光に当てた。そうした方が鳥も喜んで、よく水を飲み、よく食べて元気になるのだという。インコの24才は向かいのおばさんも「その鳥まだ生きてんの?」といって驚くし、エサを買いに行くペットショップの人も聞いて驚いたのだという。
先月、帰省したときに鳥かごを分解してきれいに掃除をしてあげた。鳥を外に出すとき母は私に「抱き」といって鳥を手渡そうとしたが力加減がわからないので抱かなかった。勘のいい母の言うことを聞いておけばよかった。最近はしゃべらず、もうあまり鳴くこと少なかったし、たまに鈴を頭でたたいて鳴らす程度で動きも少なく、年老いていたのでもう長くはないとわかってはいたのだけれど。
空っぽになった鳥かごが数年前に死んでいなくなった柴犬のタローの犬小屋の上に置いてあった。